知能を操作的に定義するやり方ではチューリングによって提案されたチューリング・テスト(1950年、”Computing Machinery and Intelligence”)が有名である。正確な定義は知らないが、要するに、人工知能と人間を用意しておき(例えば、両方とも箱の中に入れておき、どっちがどっちか解らないようにする)、それを第三者の人間に示して、どっちがどっちか区別できなければこれは人工知能と呼べる、と定義したのである。
この定義は非常に単純で効果的に思えたが、ほどなく、強力な反例が作られたために駄目になった。それはdoctor(医者)と呼ばれるシステムで精神分析医のまねをするシステムであった。僕は精神分析医というものに馴染みがないのだが、精神分析医というのは自分から何か話すのではなく、あくまで、患者に話させようとし続けるらしい。例えば、「あなたのことについて話して下さい」と始める。患者が何かいうとその言葉の中の単語をひろって「○○についてもっと説明して下さい」とかやるらしい。これくらいのシステムは初期のコンピュータでも作るのは簡単で打ち込まれた文章のある単語を拾ってそれについて問い返す、というプログラムを組めばいい。このプログラムは患者によって見破られなかったばかりか、「是非、あの”先生”に治療して欲しい」と言い出す患者まで出る始末だったそうである。