地球気候:壮大なる熱機関

我々は地球という惑星に住んでいるわけだが、「惑星に住んでいる」といっても実際には半径6000キロメートルの巨大なボールの上に張り付いた厚さ10キロメートルそこそこの大気層の中に住んでいるにすぎない。我々は、この薄い空気の層の動力学を「気候」と呼んでいる。今回のインタラクティブ・サイエンス・コラムでは、この気候研究のメッカ、 東京大学気候システム研究センター におじゃまして気候研究の最前線をサーチした。
熱機関も今となっては古めかしくて最先端の研究対象になどならないと感じられるかもしれないが(今時、蒸気機関の研究なんて!)、現代でも人類の英知を集結して研究しなくてはならない「熱機関」が少なくとも一つ、存在する。それは気候、である。

「気候が熱機関」というとちょっと奇妙に感じられるかもしれないが、現実問題としては、地球の気候とは「大気」という気体と「海洋」という液体に「太陽」という熱源が作用して駆動している熱機関に他ならない。例えば、地球の平均気温は太陽から繰り注ぐ熱量だけで非常に正確に 決める事が出来るのである。その意味でも地球気候はまごうかたなき「熱機関」である。
実際、熱機関の科学として出発した熱力学は、その始まりの時期に既に地球の気候の理解という目的も多分にもっていたのだ。
熱機関というからには何か仕事をしそうなもんだが地球気候もまた、考えようによっては仕事をしているとも言える。人間を含むすべての生物は元をたどれば太陽エネルギーで生きているわけだが、我々が適度な寒暖の気候のもとで「創造的な」活動ができるのは,太陽エネルギーをもとに大気や海洋が動いて熱を赤道と極の間で再分配してくれているからである。
そう考えれば、地球気候とは太陽の熱エネルギーを生命活動と言う重要な「仕事」に変換するための壮大な熱機関であり、その仕組みを解明することこそ気候システム研究センターの使命であると言えよう。
では、この地球最大の熱機関たる地球気候の仕組みについて 人類はどのくらい理解しているんだろうか?

大気の章

気候とは「大気と海洋から成る熱機関である」とするならば、気候という熱機関を「大気」の部分と「海洋」の部分に分けて考えるのがひとつのやり方だ。実際、気候システム研究センターで用いられている方法もこれである。大気という熱機関の動力学の研究は「天気予報」という名前でわれわれにはお馴染みである。その目的とするところは、「太陽からの熱+海洋表面の温度」を与えた時に大気がどのように運動し、どのように温度が変化するかという事を知る事である。つまり、海洋という熱源と太陽という熱源、2つの熱源と熱のやり取りをしている熱機関として「大気」を扱うのが天気予報と言うわけだ。
勿論、熱機関の研究は非常に長い歴史があるおかげで、熱機関としての大気の力学は基本的には解っている。通常の熱機関の研究と熱機関としての大気の研究の最大の違いはその「大きさ」である。あまりにも大きいために場所ごとの差があまりにも大きく、全体を理解するには場所ごとの状態を全て考慮しなくてはならなくなる。具体的には、「大気の流れ」という物を考えなくてはいけない。これはとても大変なことなのである。

大気、といっても所詮は水や空気のような流体に過ぎないので基本的な方程式は解っている。ところが、地球大気圏のように大きいと理想的な解像度で計算しようとすると計算が膨大になってしまい、最高速のスーパーコンピュータでも膨大な計算時間がかかってしまい、「明日の天気を予報するのに1週間の計算時間が必要である」とかになってしまい、ぜんぜん意味が無くなってしまう。

この困難を回避するのが気候システム研究センターの目的の一つである。現実問題として、地球全体の大気の流れを完全に解く必要は無いはずである。まじめに解くとなると、例えば、「読者の皆さんが家の扉を開けた時に起きる風」というのだって「大気の流れ」には違いないわけだが「台風○号が関東地方に上陸するかどうか」ということを知るのにそこまで考慮した計算が必要だとはちょっと思えないだろう。つまり、必要な計算にはある程度「粗さ」が許されるわけだ。だが、あまり粗くしすぎると結果がめちゃくちゃになってしまう。この「必要最小限かつ十分な粗さ」を見つけるのが気候システム研究センターの 大事な目的となっている。
最近の研究で解ってきた大事な事は「日本の天気を知りたかったら地球全体を研究しなくてはならない」ということだ。例えば、日本の夏が冷夏になるか猛暑になるかを知るためには遠く離れた フィリピンの海の温度が大事だ、とか、北半球全体の東西の風の流れ方全体を知らなくてはならないとかいうことだ。天気予報はかなり当たるようになっては来たが長期予報がなかなか難しいのはこのせいである。3ヶ月後のフィリピンの海の温度が解らない限り、春先に今年の日本の夏の気温を予報できないのだから難しいのは当然なのだ。

現在の研究レベルでも海面の水温の値が正確に解れば、大気の運動をかなり正確に再現する事が出来る。 (ビデオ)9.2M QT
しかし、逆に言うと海面の温度が解らないと「天候(=時間平均した天気の傾向)」を予報する「長期予報」が出来ないわけだからちっともものの役に立たないわけだ。
これでは困る。というわけで、海洋の動きの研究もちゃんと研究されているわけだ。

海洋の章

大気の場合と異なって、海洋の動力学、即ち、世界の大洋の中の海流の動きというものは観測が難しくてよく解っていない。このため、モデルを作ろうにもなかなかうまく行かないのが現状だ。それでも、今まで思われていたよりはずっと複雑な水の動きがあるということは解ってきた。

例えば、グリーンランドで冷やされて重くなり、海底に沈んだ海水が大平洋にまで達してから海面に上がってくる、というようなことが起きてくる。だから、皆さんが海水浴に行って泳いでいる海水は遠くグリーンランドの氷が融けた水だということだってありうるわけだ。俗に「七つの海」と言うけれども、実際には、これらの海は相互につながっていてバラバラには議論できないような仕組みになっている。このおかげで、大気の時と同じように(いや、それ以上に)ある場所での海流がずっと遠くの気候を左右することになる。
例えば、南極の回りには西から東に向かって海流がぐるりと取り巻いている。これはコリオリ力という力のせいなのだが、この「南極の回りを海流が流れている」というのは実は大変大事なことなのである。南極の回りをぐるりと海流が流れるためには、当然のことながら、南極が「島」でなくてはならない。実際には南極は南アメリカ大陸の南端とそれほど離れているわけではない。そこで、南極と南アメリカ大陸が地続きになって、南極を取り巻く海流が止まってしまったらどうなるだろうか?勿論、こういうことを実験するのは不可能だが、簡単な数値モデルで計算してみることはできる。その結果は、南極と南アメリカがつながっているとすると、南極の冷たい海水が海洋全体に流れだし、南半球がぐっと寒くなってしまうという結果が出た。南極と南アメリカがつながっているかどうかで、ニュージーランドやオーストラリアが寒冷地になってしまうかも知れない。そういう意味では、人間が普通にすめる大陸がこれほど多くあると言うのは単なる偶然とも言えるわけだ。人類はとってもラッキーな時代に生きているのかもしれない。
ともあれ、このような海洋のモデルを前述の大気のモデルと組み合わせることで海面の温度の観測値を使わずに(太陽の動きなどを与えるだけで)ある程度数値予報が出来るようになった。
実測値(ビデオ)3.9M QT数値シミュレーション(ビデオ)8.0MB QTの海面温度。
まだ、実際の温度を予報できるまでにはなっていないが、大体の季節変化は再現できるようになった。この計算で与えているのは太陽からの熱だけである。それでも、今では、これくらいリアルな「四季」を計算機の 中に作り出すことができるようになったのだ。
とはいうものの、細かい部分でまだまだ、満足の行かないところは多い。例えば、俗にいう「異常気象」の様なものを再現するまでには至っていない。海洋に関係する典型的な異常気象として エルニーニョがあるが、現在のモデルでは、大気モデルと海洋モデルの結合としての気候モデルでエルニーニョを再現すると言うのはようやく始まったばかりである。現実のエルニーニョをどのくらいきちっと再現できるかと言うのはこれからの課題である。

21世紀の人類に向けて〜温暖化

最後に、地球気候のより長期的な問題、地球温暖化について考えよう。ご存じの方も多いと思うが、地球温暖化は人間の出す 二酸化炭素によって引き起こされている。 これはかなり困ったことである。人類による 環境破壊として二酸化炭素と並び称されるものにフロンガスのよるオゾン層の破壊があるが、これは代替物などが見つかったりして使用を減らすことが原理的に可能である。ところが、二酸化炭素の場合、 原理的に使用を減らしようがないし、また、今すぐ二酸化炭素の排出量をかりにゼロにできたとしても、温暖化はすぐには止まらない

気候システム研究センターでは、この未象有の事態に対応するべく21世紀におきる温暖化の影響がどうなるかを自らが開発した気象モデルを使って予想しようとしているのである。ただ、現在の所、二酸化炭素の増加量を適当に与えてその結果どうなるかを予想することしかできない。本当は、人類の放出する量から 地球が吸収してくれる量を引き去らなくてはいけないのだがそこまではできていないのだ。 人類が環境を壊しつつあると言われる現代、人類による環境破壊を防ぐためには、まず、人類がどのくらい環境を破壊しているかを知らなくてはいけないし、また、そのためには、環境=地球気候の本当の姿を知らなくてはならない。そういう意味では気候システム研究センターの業務には人類の未来がかかっているのかもしれない。きたるべき21世紀、人類は地球気候と共存していけるようになっているだろうか、それとも.......................?
大事件だった
現代の計算機の出現の影響を扱ったSFが「サイバーパンク」と呼ばれるのに対し、蒸気機関の出現による社会の変容について考察するSFは「スチーム・パンク」と呼ばれている。科学技術によって、時代が大きく転換する時代であったという点では、同じ様な時代だった。実際、かつて、スチームパンクで描かれた時代にサイバーパンクで描かれる現代の様な思考機械の誕生を夢見た人物がいた。その人物の名はチャールス・バベッジ。彼はなんと蒸気機関で駆動する計算機を夢見、見事に挫折した。しかし、よく考えてみると、自然はとっくに熱機関駆動コンピュータを作り出しているいるとも言えるのではないだろうか。もし、人類の大脳が「計算機」と思えるなら。人類だって所詮は地球気候という熱機関によって様々な形に変換された太陽エネルギーと言う熱エネルギーで「駆動」されているには違いないのだから。
決める事が出来る
金属の棒をガス・バーナーにかざして熱する場合を考えよう。最初、金属の棒はどんどん高温になっていくが、そのうち、一定温度になるだろう。これは、ガス・バーナーからの加熱と、金属棒からの放熱がバランスして、それ以上温度が上がらなくなってしまった状態である。地球の温度もこれと同じやりかたで計算できる。太陽から地球にたいする加熱の大きさはかなり正確に解っている。一方、地球からの放熱の大きさは地球の表面温度によっているが表面温度と放熱の関係もよく知られている。大体、想像できるように、地球の表面温度が高いほど、地球からの放熱も大きい。太陽からの加熱は決まっているから、地球からの放熱=太陽からの加熱、という条件で地球の表面温度を決める事が出来る。このやり方で決めた地球の表面温度はかなりいい線を行っていて17度である。「どうやってもそれらしい値が出るのではないか」と思うかもしれないが、そんなことは無くて、例えば地球が自転していないと考えると、地球の表面温度はたちまち130度というとんでもない温度になってしまう。(地球は言わば、コンロの上で串差しにされてぐるぐる回されながら焼かれている鳥の丸焼きと思えばいいわけだ。鳥の丸焼きは、回すのを止めてしまえば片面ばかり熱せられてたちまち焦げてしまうだろう)こんな温度では、水は沸騰してしまうし、生命なんてあったもんじゃない。太陽からの加熱は太陽からの距離に関係するし、地球の大きさも関係する。この絶妙の、奇跡的ともいえる組み合わせが地球上の「気候」というものなのだ。
多分にあった
山本義隆氏の「熱学思想の史的展開」(現代数学社、1987)などによると、前世紀末の物理学では熱力学がもっともナウい物理学だった。天体の研究から始まったニュートンの力学に対し、身近な現象、例えば、地球規模の対流などを理解したい、という欲求に答えるのが最先端の科学だった。勿論、これは、植民地獲得のための探検の結果、世界規模の地理/気候が明らかになってきたことと無縁ではない。
熱機関
この言葉は大変古めかしい。かつて、人類が自然界に対抗するための力を身につけはじめた時、最初に手にした動力が蒸気機関を始めとする熱機関だった。それは現代の計算機の出現にも匹敵する
大事件だったに違いない。
熱機関は、蒸気機関を典型例とするような、熱のエネルギーを動力に変えるエネルギー機関である。というと、古めかしい感じがするが、発電というのはいまでも原理はこの熱機関のやり方である。火力発電は、水を熱して蒸気にし、その力でタービンをまわして発電する。これは、昔の蒸気機関と基本原理は同じである。火力発電どころか、最新衛の発電方式である原子力発電だって、核分裂で生じた熱で水を熱して発電する「蒸気機関」にすぎないのだ。
「大気の流れ」
地球の大気はいつも流れている。これはまさに太陽熱に駆動される熱機関としての大気の運動にほかならない。大まかに言って太陽は赤道から見た時頭上にあり、北極や南極から見たら地平線に近く見える。つまり、赤道ではいつも正午のカンカン照りの太陽で、北極や南極ではいつも夕暮れ(あるいは夜明けの)弱い日差しというわけ。だから、当然、北極や南極は赤道に比べて暖められ方が足らなくて温度が低い。そうなると、熱は赤道から北極に(あるいは南極に)移動しなくてはならない。熱の移動の仕方にはいろいろあるが、一番手っ取り早いのは熱帯の暖かい空気を北極や南極の冷たい空気と交換する事である。この「空気の交換」こそが大気の流れ=風、なのである。つまり、地球が丸でなくて平たい板だったり、あるいは、太陽が無かったりしたら、地球に
風は吹かないわけだ。
風は吹かない
正確に言うと、他にも大気の流れ=風を引き起こす熱の交換はある。例えば、太陽からの熱は直接大気に伝わるというよりは、まず、地表が暖められてそれが大気に伝わる、というやり方をする。その結果、地表で暖められた空気が軽くなって上昇するという事が起きる。これも風の原因になる。更に、地球は静止していなくて回転しているので東西方向の空気の動きも生じてくる。よく天気は「西から東に変わる」というがこれは東西方向の大気の流れが日本付近ではいつも西から東に向かって吹いているからだ。それもこれもみんな、地球が丸くて、回っていて、太陽から暖められているからである。それらが無ければ,天気も無ければ風もないのだ。
フィリピンの海の温度が大事だ
フィリピンの海の温度が高いと海面の空気が暖められて上昇する。この上昇した空気は日本の辺りにおりてくる。空気の降りてくるところ=高気圧だから、天気がよくなる。一方、フィリピンの海面温度が低いとこの空気の上昇が弱いので、日本に吹き降りてくる力も弱まり、高気圧が弱くなって晴天続きでなくなり、冷夏になってしまうというわけだ。
地球温暖化

地球の気候が徐々に温暖化しているのは間違いない。この100年間に年間平均気温にして約0.6度もの温度上昇が観測されている。100年間に0.6度というと大したことは無いように思えるかも知れないが、これは過去の氷河期まで遡っても一度も無かったことだ。この温度変化がいかに大きいかは人類の歴史の長さとこの温度上昇率を考え合わせてみればすぐ解る。俗に中国4000年の歴史というけれど、この間中、ずっと「100年間に0.6度」という「わずかな」温度上昇が続いたとしよう。4000年間でなんと24度も温度が上昇してしまう。単純に考えると、これは東京で30度を越える真夏日、と呼ばれている日々が全部、50度から60度という高温になることに相当する。あるいは、逆に、4000年前の東京は真夏でも10度以下の寒冷地、だったといってもよいだろう。100年間に0.6度というのはちっともわずかではないのだ。
これはかなり困ったこと
勿論、気温がガンガン上がっていけばそのうち住めなくなると言う意味で問題であるが、そこまで行かなくても今や目前に迫っている21世紀に既に問題が起きそうである。具体的には、地球の気候が温暖化すると
南極大陸上の氷や氷河がとけたり温度の上昇により 海水が膨張したりして海水面が上昇し、ベニスなどが水没すると言われている。
南極大陸上の氷や氷河がとけて
海面の上昇に寄与するのはあくまで「陸上にある」氷の融解である。北極海にプカプカ浮かんでいる大きな氷河がいくらとけても海水面は変わらない(信じられないひとはコップに氷を浮かべてとける間にどれくらい水面が上がるか見てみよう!)。南極大陸の氷や氷河はもともとその場所に降った雪である。雪のもとは雲であり、雲の元は海面から立ち昇った水蒸気である。これがとけずに地面の上に積み重なったので海に戻れなくなり海面が下がったのである。だから、「温暖化による海面の上昇」というよりは「温暖化による海面の復帰」なのである。
海水が膨張したり
大抵の物質は温度が上がると体積が膨張する。勿論、液体も例外ではないが、一般には温度上昇による液体の体積増加は非常にわずかで普通は問題にならない。しかし、この場合、何せ海洋に含まれる液体の量が量なのでわずかな体積変化も馬鹿にならない。仮に海洋内の海水の体積が温度変化によって「わずかに」膨張し、0.1パーセント(1000分の一)だけ変化したとしよう。もし、海洋の深さが3000メートルであれば、なんと3メートルも海面が上昇する。「たかが3メートル」というのは大間違いである。例えば、東京の郊外に「高尾山」という山があるがこの標高は800メートルそこそこである。高尾山は海岸線からゆうに100キロメートルは離れている。海岸線から一様な勾配で高尾山まで一様な勾配が続いていたとすると、8メートル「登る」には1キロメートル歩かないといけない計算だ。従って、3メートル上がるには0.5キロ=500メートル以上「登ら」なくてはならない。実際には海のそばでは傾斜が緩く、高尾山のそばでは傾斜がきつくなっているはずだから、海岸線のそばで3メートル登ろうと思ったら高尾山に「向かって」場合によっては何キロメートルも歩かないといけなくなる。つまり、海面が3メートル上がるということは、海岸線が何キロメートルも内陸側に入り込んでその分の土地が全部、海の下になってしまうということなのだ。
原理的に使用を減らしようがない
人類が使用している膨大なエネルギーの大部分は、つまるところ、化石燃料=石油・石炭・天然ガス、である。電気エネルギーだって、結局は大部分は化石燃料を燃やして行なう火力発電でまかなわれている。したがって、現状ではエネルギーを使うのを止めない限り、二酸化炭素の放出はやめられない。僕らが小学生だった20年前には、エネルギーの源たる化石燃料を使い果たすことが懸念されていたが最近は使い果たす前に地球の環境の方が壊れるだろうということになってきた。
温暖化はすぐには止まらない

二酸化炭素があるとどうして温暖化が起きるのか?これは温暖化のまたの名(?)を温室効果、ということより解るように、大気中の二酸化炭素が増えると、地球が温室状態になるためである。そもそも、地球気候は太陽からの熱で暖められて成り立っている。昼間温度が上がり、夜間に温度が下がる。昼間、温度が上がるのは太陽から暖められているからであるのと同じように、夜間、温度が下がるのは宇宙空間に熱が放出されるからだ。この宇宙空間への熱の放出は実は、「赤外線」という人間の目には見えない光の形で行なわれている。二酸化炭素はこの赤外線を吸収するのだ。このため、二酸化炭素の濃度が上がると夜間の熱の放出量がわずかだが減少する。太陽から降り注ぐ熱量は変わらないから地球大気に熱がわずかずつだが蓄積していき、温度が上がる。これが二酸化炭素があると温暖化がおきる仕組みである。
さて、いますぐ二酸化炭素の放出量をゼロにできたとしよう。どういう意味があるだろうか?人類が放出した余分な二酸化炭素が地球が身にまとった余分な一枚の毛布であるとしよう。人類が二酸化炭素の放出を止めると言うことは単に「地球が新たな毛布を身にまとう」のを防ぐことに過ぎない。人類が二酸化炭素を出すのをやめても余分な毛布は身にまとわれたままだから温度は上がり続ける。せいぜい、温度上昇が停止するのがせきの山で、温暖化するまえの気候に戻れるわけではないのだ。
地球が吸収してくれる量
人類が放出している二酸化炭素は化石燃料の燃焼により生じている。化石燃料というからには、これは生物起源である。化石燃料とはつまるところ太古の生物(具体的には植物)が空気中の二酸化炭素を(光合成で)対内に取り込んで出来たものだ。人類がやっている「化石燃料の燃焼」はこの逆過程を何万倍ものすごい速度でやっているに過ぎない。今も植物は大量に存在しているのだから、当然、大気中の二酸化炭素は植物に吸収され続けているわけで、その分は人類が放出する分から差し引かなくてはならない。 二酸化炭素の吸収でもうひとつ大事なのは、海洋への吸収、つまり、炭酸になって海水に融け込む部分である。炭酸として海水に吸収された二酸化炭素は最終的には化学反応や珊瑚虫の骨として吸収されるなどの過程を経て固体化する。これがいわゆる石灰岩、である。この分も勿論、地球による吸収として差し引かねばならない。
環境破壊として二酸化炭素
まあ、環境破壊と言っても、それは人類の側から見た場合の話で地球の側からすれば単なる気候変動に過ぎない。今は、二酸化炭素の放出が問題になっているがかつて光合成というものが現れて酸素が大量に放出された時は酸素は毒ガス以外の何者でもなかった。なにしろ、鉄ですらボロボロに腐食してしまう恐ろしいガスだったのだから。これが環境破壊でなくて何だろうか?我々生物は毒ガスを呼吸していきている
ナウシカの世界を、地でいっているとも言える存在なのだ。
ナウシカの世界
「風の谷のナウシカ」のこと。言わずと知れた宮崎駿の名作アニメ。その中には人類には決して呼吸できない毒ガスを呼吸して生きる異形の生物がたくさん登場する。しかも、この毒ガスはもとをたどれば人類の環境汚染のせいなのだ。
エルニーニョ
ペルーおきの海水面の温度が以上に上昇すること。これにより、様々な異常気象がもたらされると信じられている。しかし、どうしてエルニーニョが起きるのか、あるいは、エルニーニョが起きるとどうして異常気象が生じるのかは完全には解っていない。エルニーニョがおきているという前提で海水面温度を設定し、大気モデルだけを使って気候への影響を考えるという研究はかなり進んでいるが......
大事な目的
 「必要最小限かつ十分な粗さを見つける」作業には,地球大気(海洋)特有のプロセス(雲や放射など)を,物理的な本質を失わずに粗い格子の変量で表現する手法の開発,が含まれており,気候モデリングの中心課題になっている。これを業界では「パラメタリゼーション」と呼んでおり,まさしく流体運動の数値解法と気候モデリングを区別する大きなポイントである。 仮によく知られた法則に従うミクロなプロセスの集積として気候が書き下せ,理想的な解像度で計算ができたとしても,複雑系特有のマクロダイナミクスの理解,という根本的な課題が残る.従って,パラメタリゼーションは単に計算効率化の技術ではなく物理気候学の本質的な問題でありる(気候学は気候区分などを扱う記述的な学問の一面ももっているのだ).