全てのことには原因がある  

全てのことには原因がある


 今の科学の最も大切な原則は「起きたことには必ず原因がある」ということだ。サクラの花が開けば、それは暖かくなったからだし、電車が故障すればそれは何かの部品が壊れたり、とか、事故が起きたり、という原因かも知れない。ともかく、物事には常に「原因」があるのであって、偶然に起きることは何も無い。勿論、そうは言っても偶然に起きるように見えることもある。例えば、サイコロをふってどの目がでるか、なんていうのは「偶然」で決まっているように見える。しかし、実際にはそんなことはなくて、サイコロをどのように投げたかということをくわしく調べれば、きっと、どの目がでるかは、サイコロを投げた瞬間に決まっているはずだ。ただ、その計算があまりにも複雑で微妙なのでなかなか予想できないだけなのである。  

この「方則」には実のところ、なんの根拠も無い。いわば、人間の信念みたいなものだ。ちょっと前までは人間は全然別のことを信じていて、いつ花が咲くか、とか、明日は雨か、などということは神様とか、悪魔とか、魔女とか、そういう人知を越えた何ものかが決めているのだと、思っていた。それが今のように何ごとも「科学的に」決まっていると思い出してからほんの数百年しか経っていない。  

どうして、そんな風に考え方が変わったのかと考えてみると、要するに、「神様が雨を降らした」と思うより「低気圧のせいだ」と思う方がもっともらしい、と思えるようになったからだ。神様は目に見えないが、低気圧なら目に見えないまでも、存在を確認できる。あるかないか解らないものより、あることが解っているものが原因の方が納得できる。で、みな、「起きたことには必ず原因がある」と信じている。

この「方則」にはたった一つだけ困ったことがある。それは「人間の自由意志」の問題だ。朝起きて何を飲むか、自分で決めている、とみな感じているだろう。ところが、この「方則」によると、人間の頭脳だってこの「方則」に従って動いている一種の機械には違いないから、朝何を飲むかはずっと前から決まっていたことになりかねない。ちょうど、コンピューターがプログラムされた以上のことは出来ないように。科学的であろうとすると、自分の自由意志を否定することになりかねない。この「矛盾」は今の科学の喉に刺さった一本の刺なのだ。


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