「摩擦」があればこそ  

「摩擦」があればこそ


摩擦、という言葉は大体、ろくな意味に使われない。A国とB国に「摩擦」が生じると最後は戦火を交えることになったりする。冬に痛い思いをしたりする静電気も摩擦のおかげだし、重い家具を動かすのに苦労するのも摩擦のせいだ。摩擦が無ければ世の中はどんなにいいことか。ところが、実は、摩擦がないと我々は生きて行けないのだ。

もし摩擦が無かったら我々は歩くことも出来ない。つるつるの氷の上では人間は転んでしまうが、これは我々は普段知らず知らずの間に地面を「蹴って」前に進んでいるのに氷の上ではそれが出来なくなってしまうからだ。徒歩じゃなくて車や自転車ならいいのか、というとそれもダメで、地面とタイヤの間の摩擦がゼロになってしまったら、タイヤが空回りしてしまう。 もっと極端な話、釘とかジは摩擦が無いと無意味だ。釘が刺さっている木や、ネジを留めているボルトとの間に摩擦が働いているからこそ抜けて来ないのであり、これがなくなったら、勝手に抜けてしまう。「鉄骨建築」、例えば、鉄塔や東京タワーもあっという間にネジが抜けてばらばらになってしまう。

摩擦は水の様な形の無いものにも働いている。我々が泳げるのは水と我々の体の間に摩擦が働いていて、手や足で水を「かき分けて」後ろに押すことが出来るからだ。それはちょうど、歩くときに地面を「蹴って」前に進んでいるのと同じようなことだ。もし、これがなかったら、例えオリンピックの金メダリストの泳ぎ手でも、一ミリも前に進むことは出来ない。 船のスクリューはつまるところ水泳選手の手足の動きをより効率良くしたものに他なら無いのだから、水との摩擦が無ければ、船だって前に進めない。そう考えて来ると、スクリューと同じような原理のプロペラも役に立たないことに気づくだろう。空気との摩擦が無ければプロペラ機やヘリコプターは地面から飛び立つことさえ出来ないだろう。

一方で、摩擦は船や飛行機が速いスピードで飛ぶのを妨げてもいるから話はややこしい。こんな風に摩擦はあってもなくても困るものだ。自然界の中にはこんな風にあってもなくても困る「方則」がいっぱいある。まあ、それも無理は無い。この世は人間のために作られたんじゃないのだから、人間の都合でいい、わるい、を決めてもそれが当てはまるわけなんかないんだから。


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