反転映像を脳が解釈


  針穴写真機、というもので遊んだことがあるかな?まあ、みんなテレビゲームに忙しくてそんなもので遊んでる暇が無い、ってことかもしれないけれど、針穴写真機をつくるのは大して難しくない。適当な大きさの箱を用意して、底をくりぬき、半透明の紙(トレース紙など)をはる。蓋の方には針などで中心に小さい穴を空けておく。これでおしまい。外に出て蓋を明るい方に向け、底から覗いてみよう。半透明の紙に奇麗な景色がうつっているのが見えるはずだ。但し、上下反転で。

「やっぱり、おもちゃのカメラじゃしょうがないな」などと思ってはいけない。実はレンズを使ったちゃんとしたカメラだって、フィルムに焼き付けらる映像は上下反転だ(もっとも写真になってしまえばそんなこと関係ない)。高級そうな天体望遠鏡だって本当は上下が反転した像を見ているのだが、もともと星には上も下もありはしないからそんなことどうでもいいわけだ。もっとも、望遠鏡を左に回すと星が左に動いてしまって驚いたことは誰でもあるんじゃないだろうか?これは上下が反転していれば左右も反転しているために起きることなんだ。

その点、人間の目はよくできている。上下が反対にならないようにちゃんと見える。なんてうまくできているんだすごいなあ、なんて思ってはいけない。実際には人間の網膜に映る映像も反転しているのだ。「なんだそんなの。単に網膜の上で「下」を向いていたらそれは「上」だっていう風に定義されてるだけじゃないのか?別に不思議でもなんでもない」って言う人、こんな話しがある。

すべてのものが上下さかさまになっているめがねをかけて生活したとしよう。最初はめちゃくちゃでろくに歩くこともできない。しかし、長い時間が経つと最後は普通に上下が反転していない景色が見えるようになる.....。

これが意味することはなんだろうか?人間は目に見えるものをそのまま見ているのではなくて、さまざまに解釈しながら見ている、ということだ。そして、この「解釈」のヒントになるのが行動だ。逆さめがねをかけてあちこちぶつかって痛い思いをすれば、そのうち「ああ、本当はこれは上下逆なんだな」と脳が理解して「正しい」向きに直してくれるわけだ。決して最初から「網膜の上下は反転している」と定義されているわけじゃない。ちなみに、生まれつき目が見えない人が成人してから手術で目が見えるようになっても、うまく見えるようにはならないそうだ。「映像」は入ってくる。でもそれをどう解釈して現実の世界だと思えばいいのか脳には分からないらしいのだ。

かくして、単にものを見る、というだけのことでも僕らは世界を解釈することを避けてとおることはできない。「見ての通り」なんて言い回しはもう使えないよね。


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